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  『切り子』
コツン、と乱暴に木を打つ音を立てたのは父だった。右手に握られた繊細な切り子の猪口は、母が溜息をもらしながら見つめていたもの。桐の箱から出すことなく、触れることもなく。何時間も飽きずに。塵一つ許さず輝きを保ち、職人の指紋を残したまま佇んでいた筈のそれの飲み口は、すでに欠けている。凛とした面影も消え、量販店で売られている類似品と何ら変わらぬ白けた空気を醸し出していた。
彼は、小さな硝子のかけがえのなさを知らないのだ。理解できないのだ。桐の箱には母の手垢がついていた。小さな白い、弱った手で優しく包み込んでいたのだ。それすら灰になり土に還ろうとしている頃か。何度も何時間も、過去を辿るかのように、初恋の乙女のように溜息を漏らし目を潤ませていた母の時間が古ぼけて消えていくような歯がゆさを感じた。




06.2.6