『寒い夜』
煙草のソフトケースは、最後の一本が出しづらい。開けた側の、反対側にきっちりつまっていて、指をつっこんで無理矢理取り出そうとすると折れる。毎回ではないが、折れる。最後の一本が折れる、というのは貧乏性の私をイライラさせる。ましてやこの時間、この季節。風呂上がり、生乾きの髪でコンビニまで行くわけにもいかない。よけいなものを買わない自信もない。寝てしまおうか。風呂上がりの一服は諦めるべきか。テレビの明かりに照らされた、ゴミ箱のような部屋。連日報道されていた積雪は、汚れたニュースが降り注ぎベール。ふとよぎって送信したメールはエラー。あなたの現在から削除されたのだ。過去も、すでに存在しないのかもしれない。かまわないと笑ってみせたいのにそれすら。階段を踏み外して顎を打ったみたいな肩すかし。


元気ですか?そちらは雪、どうですか。
あなたが見せたいと言ってくれた景色。銀世界は見る機会に巡り会わないまま消えた。目を閉じて何年前の記憶かしら。声も思い出せないなんて。失いたくないと思いながら言葉にできず傷つけてばかりだった。子供だったんだよ。あれから大人になれたとも思いにくいけどね。今更必要だなんて思わない。どんなに気遣っても、言葉を交わすたび。私が割って、あなたがばらまいた硝子の上を裸足で駆け回るようなもの。古くなった傷を無理矢理こじあけてまで手に入れたいとは思わない。あるべき安らぎ。あったのは不安。思いだそうとしてもなにも出てこないよ。その前のことなら微かに。駅、ホーム、後ろ姿。定期、バス、煙草。酒、インター、枕。ソフトケースをつぶす仕草が好きだと言った唇。幸せだったとは口が裂けても言えないけれど、思い出を買いに行こう。




06.1.27