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  『透明なトライアングル』
「もういいよ、大丈夫だから」
玄関先で、ありがとう私のために。とつけたしてアパートを出た。最初から上がり込むつもりはなかった。答えが出ていたわけではない。出す時間もなかった。見ていないふりはできた。何を考えていたのか、よくわからない。




習慣になっていた。駐車場を出て、帰路とは反対方向へウインカーを出す。路上駐車して、少し歩いて合い鍵でドアをあける。インターフォンを押していたのはいつまでだっだろう。当たり前と思っていたのは私だけなのだろうか。


車を降りて深呼吸した。今日はやけに鼻の奥に冷気が刺さる。今朝は今年になって初めて白い息を吐いた。夕飯はシチューにしようと思いながらエンジンをかける。一人暮らし同士。そう、だから習慣になっていた。足して割れば食費も多少は浮く。
求めるものが変わってきたことには気づいている。寄り添いや安心に都合が加わり出したのはずいぶんと前から。
スーパーに寄ったから、私の手には袋が下がっていた。黒いロングコートには似合わない持ち物だけれど、仕方がない。食べる為には買い物をしなければ話にならないのだ。
小さな住宅地の端にある、焦げ茶色の、タイルばりのアパート。一階、真ん中のドアを開けるために鍵を鳴らしながら歩く。


最初は見間違いかと思った。しかし恋人の後ろ姿を見間違うだろうか。親友の後ろ姿を見間違うだろうか。あの白い、ファーがついたコートは私が選んだもの。あのブラウンのジャケットは確かに知っている。私が目を凝らしたのは二人の手元。しっかりと繋がれた手。砂の粒さえ落とさないように。
アパートはすぐそこ。立ち並ぶ家の裏側。姿が見えなくなるまで立ち止まり、ドアの閉まる音が聞こえてから動き出した。一歩進む度、引き返そうと思う。重い足取りはまさにそれだ。
しかし私は、昨日と同じように。一昨日と同じように。先月と同じようにドアを開けた。
「ただいま」という言葉を添えて。


ワンルームの狭い玄関。目と鼻の先、キッチン兼通路。二人はそこで、時間を惜しむかのような抱擁をしていた。親友は私が背後にいる事に気づいていて、この行動をとったのだろう。計算高い人だという悪評は、衝動的な私の誇りでもある。


「あ」と二人の声が重なる。慌てる様子は見物だ。まるで漫画のようだ。つまらないドラマのようだ。
私を押し出す勢いで飛び出していった甘い香水の背中を、彼は追いかけない。
次々と止めどなく。言い訳の通り雨に包まれながら、涙も見せずに袋を置く。
「シチューだね」と気を取り直して彼は言ったけれど、私は沈黙を守った。通り雨がまたやってくる。肩を揺らす手に、なすがまま。崩れ落ちて泣くほどの衝撃はない。言い訳が私を思うありったけの気持ちなのだと、素直に受け取った。
雨が通り過ぎる。彼をなだめるように、ずぶぬれの頭の中で考えていた台詞を残して部屋を出た。
「ありがとう。私のために」
そんなに必死になるくらい私を好きでいてくれるんだね。一度や二度の過ちくらい。相手が親友だろうが私の母親だろうが愛さえあれば許せてしまえる。


けれどもう、ドアは重すぎて開けられない。買い物のレシートはぐずぐずに崩れて、わり算に持ち込めない。
あのアパートは、最初から私の帰る場所ではなかったのだから、遠回りをしなくてすむ。それだけの変化。


穏やかな理性とは異なり、ふつふつと沸き上がるものがある。アクセルを踏んでいた足を、オービスの手前。慌ててブレーキに置き換えた。鍵が揺れる。合い鍵を返さなければ。
明日、親友に渡そう。赤いリボンをつけて。嫌みにならないように笑顔はおさえなければ。




05.12.30